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第30話 そして、満月の夜に

last update Date de publication: 2026-08-16 07:48:04

季節が、三つ変わった。

山葵沢に、春が来て、夏が来て、秋が来た。

柊はその全てを、ここで過ごした。

春。

土が柔らかくなった頃、朧が黒い土に手を触れた。

力を込めた。

光が、土に染み込んでいった。

翌朝、草の間から──小さな芽が出ていた。

柊はその芽を見て、声を上げた。

「出た」

「ああ」

「本当に出た」

「出ると言った」

「言ってたね。でも──見ると、また違う」

「どう違う」

「嬉しさが、倍になる」

朧はその芽を見た。

「倍か」

「うん。知ってたことが、本当になる瞬間が──一番嬉しい」

朧は柊を見た。

「それは──期待が、現実になるということか」

「そう。約束が、叶うということ」

「……そ
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  • 月喰いと契りの巫女   第30話 そして、満月の夜に

    季節が、三つ変わった。山葵沢に、春が来て、夏が来て、秋が来た。柊はその全てを、ここで過ごした。春。土が柔らかくなった頃、朧が黒い土に手を触れた。力を込めた。光が、土に染み込んでいった。翌朝、草の間から──小さな芽が出ていた。柊はその芽を見て、声を上げた。「出た」「ああ」「本当に出た」「出ると言った」「言ってたね。でも──見ると、また違う」「どう違う」「嬉しさが、倍になる」朧はその芽を見た。「倍か」「うん。知ってたことが、本当になる瞬間が──一番嬉しい」朧は柊を見た。「それは──期待が、現実になるということか」「そう。約束が、叶うということ」「……そうか」朧は芽を見た。その目に、柊が初めて見る表情があった。何かが、満ちているような──静かな表情。「朧、今──どんな気持ち?」「名前がわからない」「どんな感じ?」朧はしばらく考えた。「ここにいていい、と──思えている」柊の目が、細くなった。「それは──安心、かもしれない」「安心」「うん。自分の居場所が、ここにある、と思える感情」朧はその言葉を、静かに転がした。「……安心」「ある?」「ある」柊は笑った。朧も──笑った。芽が、朝の光を受けて、きらきらと輝いていた。夏。川へ行った。約束通り。山葵沢から少し下りた場所に、清流があった。

  • 月喰いと契りの巫女   第29話 消える月

    柊の実家は、山を二つ越えた先にあった。退魔師の家系らしく、山の中腹に建てられた古い家だった。結界が張られていて、あやかしが近づけない構造になっていた。朧はその結界を、入口の手前で感じた。「ここまで来ると、わかる」「結界が?」柊が聞いた。「圧がある。昔なら、弾かれていたかもしれない」「今は?」「今は、感じるだけだ。入れないわけではない」「よかった」柊は門の前に立った。深く息を吸った。吐いた。「緊張してる?」「してる」「俺も」柊は少し驚いた。「朧も?」「お前の家族に会うことは──初めてだ」「そうだね」「何を話せばいいかわからない」「正直に話せばいい。朧は、正直だから大丈夫」「正直すぎると、問題が起きることもある」「私がいるから」「頼りにしている」「うん」柊は門を開けた。母が出てきた。四十がらみの、柔らかい目をした女性だった。柊の顔を見た瞬間、その目が細くなった。「柊」「ただいま、お母さん」「無事だったんだね。よかった」母は柊を見た。それから──朧を見た。銀色の瞳に、少し驚いた顔をしたが──怯えはなかった。「この方が──朧さん?」「うん」柊は言った。「朧。私の母だよ」朧は母に向かって、頭を下げた。「お世話になっています」「こちらこそ」母は静かに言った。「柊が、色々と──お世話になったようで」「俺の方が、世話になった」母は少し目を細めた。「中に

  • 月喰いと契りの巫女   第28話 契りの果て

    山葵沢へ向かう日の朝、空が曇っていた。雨になるかもしれない、と蒼真は言った。「それでも行くか」「行く」朧は言った。「雨の中で、壊した場所を見ることになるかもしれない」「雨でも、晴れでも──変わらない」蒼真は頷いた。「そうだな」久瀬は、約束通り来ていた。宿の前に一人で立って、三人を待っていた。昨夜の対話のときより、少し──柔らかく見えた。刀は差していたが、手は柄に触れていなかった。「来たか」「来た」朧は言った。二人が向かい合った。しばらく、沈黙があった。「道中、話せるか」久瀬が言った。「話す」「嫌なことを聞くかもしれない」「聞く」久瀬は朧を見た。「……行くか」五人で、山道を歩き始めた。山葵沢は、二つの山の間にある細い谷に沿った集落だった。三刻ほど歩いた先に、それはあった。近づくにつれて、柊は気配を感じた。古い気配だった。何かが、長い時間をかけて積み重なった──静かで、重い気配。「ここだ」久瀬が足を止めた。谷の入口に立って、奥を見ていた。集落の跡があった。石垣が残っていた。家の基礎だったものが、苔に覆われて残っていた。井戸が一つ、草に埋もれながら残っていた。誰も住んでいなかった。随分前に、誰も住まなくなった場所だった。「二百年以上前に、ここで何かがあった」久瀬は静かに言った。「俺の家に伝わる話では──山が燃えた夜に、集落が消えた。生き残った者が、山を下りた。それが、俺の先祖だ」朧は谷の奥を見ていた。銀色の瞳が、何かを見ていた。

  • 月喰いと契りの巫女   第27話 最終決戦(後編)

    山の中の対話は、長かった。月が中天を過ぎても、終わらなかった。五人の退魔師たちは、最初は刀を手放さなかった。それでも、話した。一人が話し始めると、別の一人が続いた。長年、退魔師として生きてきた中で積み上げてきた恐れが、少しずつ──言葉になって出てきた。「俺の父は、あやかしに殺された」一人が言った。若い退魔師だった。二十代の半ばくらいに見えた。「山の集落で生まれた。幼い頃、父が討伐に出て──戻らなかった。だから退魔師になった」誰も、何も言わなかった。「あやかしを全部斬れとは思っていない。でも──信じることが、できない」その言葉は、正直だった。恐れを隠さない、正直な言葉だった。朧は若い退魔師を見た。「それは──正直なことだ」「……」「俺も、信じることを求めない。ただ──お前の父を殺したあやかしが何者だったか、俺にはわからない」「わからなくていい。あやかしだった、それだけだ」「そうか」朧は静かに言った。「俺が壊した集落にも、同じことを言う者がいるかもしれない。月喰いだった、それだけだ、と」若い退魔師は、朧を見た。「だが──」朧は続けた。「それだけ、では終わらせたくない。お前の父の話を、もっと聞きたい」若い退魔師は、目を瞬かせた。「……なぜ」「俺がお前の父を殺したわけではない。だが──俺も、誰かの父を奪ったかもしれない。それを、ただの過去にしたくない」「どういう意味だ」「過去を聞くことが──俺にできる、最初のことだと思う」静寂が降りた。若い退魔師は、しばらく朧を見ていた。それから、刀を──地面に置いた。まだ鞘に収めてはいなかった。でも、手放した。「父

  • 月喰いと契りの巫女   第26話 最終決戦(前編)

    三日後、桐生から正式な連絡が来た。 「討伐命令を、一時停止とする」 蒼真が報告を読み上げると、宿の中が静かになった。 停止。取り消しではなく、停止。 「どういう意味だ」朧が言った。 「連合の全員が納得したわけではない」蒼真は静かに言った。「だから──完全な取り消しはまだできない。ただ、実行を止めることには合意した」 「条件は?」 「月喰いが、人を傷つけないこと。連合の監視下に置かれること。そして──白面のような事態が再び起きたとき、協力すること」 朧は少しの間、考えた。 「受け入れられるか」 「俺はそう思う」蒼真は言った。「完全ではないが──始まりとしては、十分だ」 柊は朧を見た。 「朧は?」 「受け入れる」朧は静かに言った。「条件が何であれ──ここにいる理由ができた」 「ここにいる理由、か」 「ここにいていい、ということだ。それが──今は、十分だ」 柊の胸が、温かくなった。 最初に出会ったとき、朧は自分がここにいる理由を知らなかった。 今は──ある。 それがどれほど大きなことか。 「よかった」 「ああ」 蒼真は報告書を折りたたんだ。 「桐生さんは──もう少し交渉を続けるつもりらしい。完全な取り消しを目指して」 「時間がかかる」 「ああ。だが──」蒼真は朧を見た。「それまでの間に、お前が何をしているかが、交渉に影響する」 「つまり、見られている」 「見られている。だ

  • 月喰いと契りの巫女   第25話 選ばなければならない

    満月の夜が明けた。朝霧が山を包んでいた。柊は泉のそばで目が覚めた。いつの間に眠っていたのか、自分でもわからなかった。気がついたら、苔生した岩に寄りかかって、眠っていた。隣に、朧がいた。眠っていなかった。ただ、柊の隣に座って、夜明けの空を見ていた。「おはよう」「ああ」「ずっと起きてた?」「ずっと」「眠らなくていいって言うけど──疲れない?」「疲れるという感覚が、少しわかってきた」柊は少し驚いた。「最近?」「ここ数日で」「それは──」柊は考えた。「人間に近づいてきてるのかな」「そうかもしれない」「嫌じゃない?」朧は少し考えた。「嫌ではない。ただ──新しい感覚だ」「私、教えることが増えそう」「頼む」その返事が、あまりにも真剣だったので、柊は笑った。朧は笑わなかったが──口の端が、わずかに上がった。山を下りると、蒼真と桐生が宿で待っていた。二人とも、眠っていない顔だった。「各地の報告が入ってきた」蒼真は言った。「白面の気配が消えると同時に、あやかしたちの暴走も止まった。被害を受けた集落の幾つかで、小さな衝突が残っているが──大事には至っていない」「よかった」「ただ──」蒼真は少し間を置いた。「人とあやかしの間に生まれた亀裂は、残っている。白面がいなくなれば全て解決する話ではない」柊は頷いた。「わかってる」「時間がかかる」「うん。でも──時間をかけられる、ということでもある」蒼真は柊を見た。「……そうだな」桐生が口を開いた。「月喰いよ」

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